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2019年10月24日印刷はこちらから研究開発

iPS細胞を用いた研究により、精神疾患に共通する病態を発見-双極性障害・統合失調症の病態解明、治療薬開発への応用に期待-

慶應義塾大学医学部生理学教室の岡野栄之教授、大日本住友製薬株式会社リサーチディビジョン疾患iPS創薬ラボの石井崇也研究員 兼、同大学医学部生理学教室共同研究員、名古屋大学大学院医学系研究科精神医学・親と子どもの心療学分野の尾崎紀夫教授らを中心とする共同研究グループは、ゲノムコピー数変異(copy number variation:以下、CNV)(注1)を有する双極性障害(注2)および統合失調症(注3)患者由来のiPS細胞(注4)を用いた研究を行い、両疾患に共通した病態として、神経細胞の形態に異常が生じることを見出しました。
本研究グループはこれらの精神疾患の病態解明を目指し、発症に関わると考えられる新規のCNVに着目しました。
第一に、それぞれ異なるCNVをもつ双極性障害及び統合失調症患者の体細胞から取り出したiPS細胞を2種類の神経細胞(グルタミン酸作動性神経とGABA作動性神経)(注5)に選択的かつ高効率に分化させる方法を確立しました。
さらに、これらの得られた神経細胞について解析し、両疾患に共通して、2種類の神経細胞いずれにおいても樹状突起の長さが短くなり、神経情報を伝達するシナプス数も減少することを明らかにしました。
今回の研究成果は、患者由来iPS細胞を用いることで代表的な精神疾患に共通する病態を再現することに成功したものであり、精神疾患のさらなる病態解明や治療薬候補の開発につながることが期待されます。
本研究成果は2019年9月20日(米国東部時間)にオンラインジャーナル「eNeuro」に掲載されました。

1.研究の背景と概要

双極性障害と統合失調症はそれぞれ生涯に1%程度の人が発症するとされる主要な精神疾患であるものの、その原因や発症につながる詳細なメカニズムは未だ明らかにはなっていません。また、医師の診断によって同じ病気とされた場合でも、遺伝的背景や環境的要因は多様であり、病気の症状が個人によって大きく異なるなど、病態も非常に複雑です。
治療薬の開発にむけた研究には動物モデルが重要ですが、ヒトと動物では脳の構造や機能の差が大きいため、動物モデルを使って病気を再現することには限界があります。このような理由から、精神疾患の病態を忠実に再現し、疾患が生じる詳細なメカニズムの解明や治療薬開発に適用できる疾患モデルの創出が強く求められています。
2006年に京都大学の山中伸弥教授らが開発したiPS細胞の技術を用いることで、患者由来の体細胞からiPS細胞を作製し、これを神経細胞に分化させ、研究に活用することができるようになりました。慶應義塾大学医学部では、特にパーキンソン病や筋萎縮性側索硬化症(ALS)のような神経変性疾患を対象に、iPS細胞を用いた研究成果をこれまでに多数報告してきました(Fujimori K, et al., Nature Medicine, 2018、他)。その一方で、遺伝的背景が複雑な精神疾患では、iPS細胞を用いた研究のハードルが未だ高いという課題がありました。
このような課題を解決すべく慶應義塾大学医学部と大日本住友製薬株式会社は2012年3月より精神疾患患者由来のiPS細胞を用いた共同研究を開始し、互いの技術と知見を用いた産学連携研究を推進してきました。
また、名古屋大学大学院医学系研究科とは国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)採択課題プロジェクトを通じて、精神疾患の複雑な遺伝的背景の一端を解明するため、ゲノム解析研究により病的意義を有する新たなCNV(双極性障害患者におけるPCDH15遺伝子の欠失と統合失調症患者におけるRELN遺伝子の欠失)(注6)を見出しました(Kushima I, et al., Cell Rep, 2018)。
本研究では、双極性障害・統合失調症発症に関わるCNVに注目することで、遺伝的背景の課題を克服しつつ精神疾患の病態を再現できるモデルの確立を目指し、患者由来iPS細胞から分化誘導した神経細胞を用いた病態解析研究を実施しました。

2.研究の成果と意義・今後の展開

本研究において、PCDH15遺伝子に欠失を有する双極性障害患者2名と、RELN遺伝子に欠失を有する統合失調症患者1名に由来するiPS細胞から、精神疾患における機能の低下やネットワークの破綻が指摘されているグルタミン酸作動性神経とGABA作動性神経を、それぞれ選択的かつ高効率に作製することに成功しました。
患者由来神経細胞群では、健常者由来神経細胞群に比べて樹状突起の短縮およびシナプス数の減少が観察されました。これらの異常は、疾患・神経の種類を問わず共通して観察されました。また、遺伝子編集技術によりPCDH15またはRELNを人工的に欠失させた健常者由来iPS細胞から作製した神経細胞においても、同様の異常が観察されました(図1)。過去に実施された別のグループによる双極性障害および統合失調症患者の死後脳を用いた研究においても、本研究の異常と類似した現象が報告されています(Konopaske GT, et al., JAMA Psychiatry, 2014、他)。
これらの結果は、本研究で見出された現象が精神疾患において共通する病態であることを強く示唆しており、その病態がPCDH15RELNの機能と関連することが予想されます。
以上の成果から、病的CNVをもつ患者由来iPS細胞を用いることで病態を反映したモデルを構築することが可能であることが示されました。さらに、このモデルを用いることで、精神疾患に共通する病態メカニズムの解析や広く精神疾患に有効な新規治療薬の開発につながる可能性があります。
今後、本研究で得られたモデルを用いたさらなる解析を進めると共に、異なる種類の神経細胞同士やグリア細胞(注7)との共培養など脳内の環境を、より忠実に再現することで、病態解明や治療標的の探索がさらに進むことが期待されます。

図:遺伝子編集技術によりPCDH15またはRELNを人工的に欠失させた健常者由来iPS細胞から作製した神経細胞においても、同様の異常が観察されました

【図1】

3.特記事項

本研究は国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)再生医療実用化研究事業「精神・神経疾患特異的iPS細胞を用いた創薬研究」、再生医療実現拠点ネットワークプログラム「神経疾患特異的iPS細胞を活用した病態解明と新規治療法の創出を目指した研究」および「小児てんかん性脳症の革新的創薬を見据えた病態解析」、脳科学研究戦略推進プログラム「統合失調症と自閉スペクトラム症のゲノム解析結果を活かした診断法・治療法開発」、革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト「大規模脳画像解析とヒト-霊長類を連結するトランスレータブル脳・行動指標開発にもとづく精神・神経疾患の病態神経回路解明(精神疾患に関わる稀な遺伝子変異の探索による病態関連神経回路の解明)」、JSPS科研費JP17K10083、JP26830018による支援、大日本住友製薬株式会社との共同研究によって行われました。

4.論文

英文タイトル:In vitro modeling of the bipolar disorder and schizophrenia using patient-derived induced pluripotent stem cells with copy number variations of PCDH15 and RELN.

タイトル和訳:PCDH15遺伝子のコピー数変異を有する双極性障害患者及びRELN遺伝子のコピー数変異を有する統合失調症患者由来のiPS細胞を用いたin vitroモデルの構築

著者名:石井崇也、石川充、藤森康希、前田拓志、久島周、有岡祐子、森大輔、中武悠樹、
山縣文、仁王進太郎、加藤隆弘、ナン ヤン、マリウス ウェルニーク、神庭重信、
三村將、尾崎紀夫、岡野栄之

掲載誌:eNeuro

【用語解説】

(注1) ゲノムコピー数変異(CNV):染色体上の一部の領域において、通常2コピーであるのに対し1コピー以下(欠失)または3コピー以上(重複)となる変化を指し、この領域に含まれる遺伝子の機能に影響を及ぼします。本研究では1コピーとなった欠失に着目しています。
(注2) 双極性障害:躁状態とうつ状態を交互あるいは同時に呈する精神疾患の一種です。
(注3) 統合失調症:幻覚・妄想などの陽性症状、意欲低下などを伴う陰性症状、認知機能障害などを呈する精神疾患の一種です。
(注4) iPS細胞:血球細胞などの体細胞に特定の転写因子を導入することによって、あらゆる組織や細胞への分化能と自己増殖能を獲得した細胞です。
(注5) グルタミン酸作動性神経、GABA作動性神経:神経細胞は大きく2種類に分類することができます。ひとつは興奮性神経細胞で、その代表的な細胞がグルタミン酸作動性神経細胞です。これは神経伝達物質であるグルタミン酸を放出することで、神経活動を上げることができます。もうひとつが抑制性神経細胞で、その代表的な細胞がGABA作動性神経細胞です。これは神経伝達物質であるGABAを放出することで、神経活動を抑制することができます。
(注6) PCDH15遺伝子、RELN遺伝子:本研究ではそれぞれの遺伝子に新規CNVを有する患者さんからiPS細胞を作製しました。過去の研究では複数の精神疾患とこれらの遺伝子との関連が示唆されています。いずれの遺伝子も細胞の接着や遊走に関与しており、この機能が本研究で示された現象に関係する可能性が考えられます。
(注7) グリア細胞:神経系を構成する神経細胞ではない細胞の総称であり、ヒトの脳では細胞数で神経細胞の50倍ほど存在していると考えられています。